わたしの、ものさし

私の見たこと、聴いたこと、感じたこと、を書いています

新型コロナウイルスの意味

 新型コロナウイルスの世界的な蔓延で、いろいろとストレスを感じる日々を過ごしている。時差で通勤しているので、感染したらどうしようという健康上の不安もある。

 それにしても世の中滅茶苦茶だ。特に経済活動は停滞している。うちの職場も在宅勤務をする人が多い。出勤している人も通常の業務の半分程度もできていないだろう。多くの店は閉まり、買いたいものも買えないし、不足するマスクなどは手に入らない。

 一方、時差通勤、一部在宅勤務と称して、のんびりと出勤し、最小限の仕事をしている。体力的には楽だし、在宅中は家のことや自分のことも出来てしまう。時間と場所に縛られていた今までに比べて、心理的な余裕はできた。

 こういう状況から思うに、新型コロナウイルスは、ある意味で今の人類への福音なのかもしれない。というのも、国の緊急事態宣言や世界各国での深刻な状況を見ると、生活への制約が大きいが、今までの暮らしぶりとか消費活動と対比して考える機会が否応なしに出てくる。

 つまり、今までの生活を振り返りましょうと突きつけられていて、そのことで、この世界の在り方が、良い意味で大きく変わるのかもしれないということ。

 突きつけられたものとして感じるのは、以下のことが挙げられる。

 

・今までのような働き方でよいのか

・今の仕事は本当にやりたいことなのか

・今の仕事は本当に必要なことをやっているのか(不要で無駄なことをしてないか)

・食事は丁寧に食べているのか

・真にゆとりある生活、人間らしい生活を営んでいるのか

・消費活動は、適切か。無駄に消費していないか

・家族などの大事な人との時間をしっかり過ごせているのか

・本当の豊かさとは何か

・その便利さは、ほんとうに必要なのか

・体を大事にしているか

 

 仕事の量は強制的に減り、制約の中で自由にやりたいことがやれる時間ができた。食事もやる気があり、手間を惜しまなければ体にやさしいものを作ることができる。仕事に追われずに隙間時間をぼんやりしてもよいし、趣味をしてもいい。何をするかは別としても、家族と過ごす時間が増えた。あれこれ細かいものが買えず不便だが、無くても生きていられる。コロナに感染しないように、睡眠をしっかりとって節制しよう。

 このような事実や意識が顕在化してきたのではないか。コロナ禍ではあるが、こういうことに気付くきっかけではないのか。

 おそらく今は、手放すべきものがなかなか手に入らないか、できない状況なのだろう。逆に必要なものと強制的に直面させられている。

 世の中は、本当のよくできていて、絶妙のタイミングで必要な事象が起こる。だから、きっとこの世界中に蔓延している新型ウイルスにも何らかに意味があるのだろう。

1ヶ月後の風景

 先月、職場の同僚がヨーロッパに出張にいった。イタリアなどで、感染者が少し出ていた程度だったと思う。特段のアジア人としての差別を受けずに、何の支障もなく、無事に出張から戻ってきた。

 その1ヶ月後の今、イタリアをはじめ、フランス、スペイン、ドイツ、イギリスの主要都市の風景は無人化した。ヨーロッパ全域で新型コロナウイルス感染症が拡大しており、いわゆるパンデミックを起こしている。観光地で有名なイタリア、フランスの街は、ほとんど誰も歩いていない。ものすごくシュールで、SF映画を見ているようだ。

  1918年のインフルエンザのパンデミック(通称スペインかぜ)は、当時の世界人口が20億人程度だった中で約5億人が感染した。世界人口の25%が感染し、約5000万人が亡くなった。日本でも当時の人口5500万人に対し39万人が亡くなったという。時代は変わって、医療技術は発達したけど、国際間の人の動きも飛躍的に発達したため、感染拡大も迅速になっている。スペインかぜの歴史事実に鑑みると、同程度の被害が発生する可能性がある。

 つまり単純計算で、世界人口70億人に対し17億人が感染することになり、そのうち10%が重症化すれば1億7千万人になる。  

 たった1ヶ月でヨーロッパは変わってしまった。

 そして次の1ヶ月で、元の活気ある風景に戻るのか。または、もっと非現実的な風景が広がるのか。遠い地理的に遠いヨーロッパとはいえ、世界はいろいろな意味でつながっているので、文字どおり対岸の火事ではない。 

 しかし、日本は、感染拡大について麻痺して鈍感になってきている。無駄に騒ぐのは愚かだが、気を緩めて足元を救われるのはもっと愚かである。まだまだ緊張感をもっていくべきだ。

 

 

仮説として、髪をよく切る人は、他人の髪型の変化に敏感である

 私は2週間に一度は髪を切り、短髪を維持している。少しでも伸びてくると気になってしまう。そのせいか(視力の良さもあいまってか)、他人が髪を切ると、確実に気づく。

 とくに職場の同僚が髪を切ると当然気づくのだが、もちろんコメントはしない。特に女性の場合は。男性は、従来の髪型が短くなる程度の変化がほとんどだが、女性の場合は髪に長さがある分、髪を切ることで劇的に印象が変わることがある。そして、余計なお世話ながら、前のほうが良かったなと思うことが半分ある。これは見慣れてない髪型よりも見慣れた方に安心する心理かもしれないが、それはないだろうというのもたまにある。余計なお世話だが。

 私は生まれてこの方、ずっと短髪なので髪が長いことへの憧れも少しある。短髪ゆえに頻繁に切らなければならない。でも、2週間に1度髪を切るときに、気持ちもリセットできるし、髪を切ってもらうときに心地よさも味わえる。この習慣はおそらく生涯、髪がある限り続くのだと思う。

 

 

ドゥニームに関する、まとめ的なメモ

(随時更新)※私の認識する範囲で書いてます。事実誤認があればご容赦ください。

 

 90年代におけるリーバイスのヴィンテージ復刻時期を学生として過ごしていた私は、ジーンズといえばアメリカ製の501を5千円程度で買っていたし、たまに値段の高い復刻版の501とか502を頑張って買い履いていた。ドゥニームの存在はかなり前から知っていたが、正直に言えば、ドゥニームに興味を示してジーンズを買いだしたのは、ここ数年のことだ。つまり、ウィゴーとなってからで、いわゆる旧ドゥニームのリアルタイムを知らない。ネットでは旧ドゥニームが良かったといった声が大勢を占めるのを見るにつけて、なぜリアルタイムでドゥニームをチェックしなかったのかと悔やみつつ、古着で旧ドゥニームを入手しだした。

 ところが、30周年を機に、ドゥニームが原点回帰して設立当初の質やデザインを再現するオリジナルラインを企画。旧ドゥニームにおいて大人気だったXXモデルなどを発売している。当時のものと比較ができないが、限りなく忠実に再現されていることを信じたい。

 以下は、ここ数年で一気にドゥニームのファンになったことを受けて、ドゥニームについてまとめて記録することとした。

 

ドゥニーム/DENIME とは

 1988年に設立された林芳亨(はやしよしゆき)氏によるデニムブランド。レプリカジーンズの先駆けとして知られている。ブランド名は「Denim(デニム)」の語源である15世紀フランスの織物「Serge de Nimes(セルジュ ドゥ ニーム)」<ニーム産のサージ生地>にちなんでいる。

 1950~70年代のジーンズの本質を徹底的に追求したモノづくりにこだわる。1988年、現在では入手の難しい50~70年代の隠れたジーンズの名品の数々をリメイク、その時代の空気を出来るだけ忠実に伝えたいという想いから始まった。

 その独特のざらつきを持った生地質感と色落ちの強い濃淡の美しさは、次第にジーンズマニアの間で話題となっていった。

 ヴィンテージジーンズの人気の興隆と共にレプリカジーンズブームが起こり、ジーンズマニアのみならず広く世間に認知され、ファッションアイテムに定着していった。

 ドゥニームジーンズの人気は、雑誌の中だけにとどまらず、店頭に並んでも即完売で常に品薄。令和の今では考えられないが、入荷時には店に行列ができたという。

 思い返してみれば、当時、パソコンもネットもスマホも無かった。そのような中で、レプリカジーンズを作るにあったっての情報収集、人との繋がり、関係者との交渉打ち合わせ、ファンへの展開には、相当の熱量が必要だったはずだ…

  ドゥニームの魅力の一つは色落ちの風合い。穿き込むだけで、自然と濃淡の落差が激しいジーンズとなる。この激しい濃淡の色落ちを目指し、洗濯をできるだけしないで履き続ける「根性履き」がレプリカジーンズブームにおいて発生した。

 

 ドゥニームのHPによれば、

ヴィンテージジーンズ再現のこだわりは、定番XX typeは1950年代のデッドストックのデニムを糸まで解体し、綿の産地や色、糸の番手、染め、縦糸横糸の打ち込み本数まで調べつくし、デニム生地とともに色褪せする縫い糸の開発といった調査、分析、研究がされたようだ。

 また、1988年から89年にかけて生産された初のXXタイプはわずかに144本のみ。プロトタイプを作成してから本生産に入るまでに6ヶ月を要している。色落ちの状態を確認してようやく生産のGoサインが出されたそうだ。

 林氏の声掛けで開発された綿糸は、やがて日本のジーンズメーカーでも使用され、今やリーバイスもそれを採用しているらしい。ヴィンテージライクなジーンズが現在存在するのは、林氏のおかげと言える。

 

ドゥニームの経営母体の変遷

1988年 オリゾンティ社にて「DENIME」創立

2005年 シンズ社が買収

2009年 ウィゴー社が買収

 現在(2020(令和2)年)に至る。

※2010年 林氏がドゥニームから離れてリゾルトを創立

 

 バックポケット内のタグに「D-HG1118」と記載されているのをたまに見かけるが、1988年より前の製品となる。単純に30年以上前のものとなるので、それだけでもレアで貴重といえるかもしれない。30年という月日は、1960年代のリーバイスを1990年代に復刻する期間に相当するのだから。

 

 ちなみに、エビスジーンズの山根氏は、林氏の弟子筋。フルカウントの辻田氏、ウエアハウスの塩谷氏は、山根氏のもとで育ったらしいので、林氏の孫弟子にあたるだろうか。とにかく林氏は日本のレプリカジーンズの源流であり、日本におけるジーンズの神様と呼ばれる存在である。その林氏がデザインを担当し創立にかかわったのが「ドゥニーム」である。

 

ドゥニームジーンズ製品

XXモデル(50年代のXXをイメージした定番)

XX type2

66モデル(66後期をイメージ)

66XX(XX生地仕様の66ディテール)

66ローライズ(66をローライズバージョン)

大戦モデル

501Z

502

505

517

805XX(XX生地使用の805

・・・この他のモデルや周年記念モデルなど多数存在する。

 なお、現在のウィゴーでは、XX、66、805XXそして66XXの4タイプを展開している。

 

 旧ドゥニームにおいて、パッチには「501」などのモデル名が入っていない。販売時についている商品タグには書かれていただろうが、中古ではシルエットや仕様でモデルを見極めるしかない。

 ヴィンテージジーンズのディテールに詳しい人が見れば、何のモデルかは分かるようだ。それだけ再現性があるということになる。しかし、一見してモデル名が分からないところも、ドゥニームに奥深さとややこしさを与えている。

 

各モデルの特徴

オリゾンティ又はシンズのもの)

●XXモデル

後ろベルトループ中央がオフセット

フロントボタン部分がVステッチ

コインポケットが耳付き

バックポケットに隠しリベット

革パッチ(WLの数字、LOTに3ケタの数字とアルファベットが1文字又は2文字)

※ヒップから腿あたりはややルーズで太め。

エストをジャストサイズで履くと意外とルーズな感じがしない。

 

●66モデル

フロントボタン部分が平行ステッチ

バックポケットの裏にバータック

コインポケットにカミナリの捻じれが発生

(コインポケットとその台となる生地の綾の方向が違うために生じる)

紙パッチ(数字は一切なし)

※全体的に太すぎず細すぎないストレート

 

●66XXモデル

フロントボタン部分が平行ステッチ

バックポケットの裏にバータック

革パッチ(WLの数字、Lotに3ケタの数字とアルファベットが1文字又は2文字)

ポケットはやや小さめで少し縦長気味か。

※XX生地でシルエットが66というハイブリット。全体的に細身のストレート。細身で収縮率も大きいためか、66のジャストサイズよりもサイズが大きめになる思う。

 

●Aタイプ

紙パッチにLotに「178」、その上に「A」の文字。

WとLに数字の表記あり、とパッチが特徴的で判別しやすい。

概ね66と類似するが、ポケットは66よりもやや幅広か。

 

●XXモデル タイプ2

XXモデルとディテールは同じで、股上が浅め、全体的にXXタイプよりやや細身

 

●805XXモデル

全体的なシルエットは股上浅めで、細身。

革パッチでLot、W、Lに数字あり。

フロントはVステッチ。

ボタンフライで、ボタンの色がシルバーではなく褐色。

 

●大戦モデル

全体的に太目のストレート。

フロントボタンが月桂樹のドーナツボタン。

 

≪更新続く≫

 

 

新型コロナウイルスに関する対応方針:私案(2020.3.11)

 新型コロナウイルスの感染が世界で拡大している。ここまで拡大すると、拡大を防止する策は無理があるだろう。いろいろと活動が自粛され経済への影響も大きい。

 そこで、このフェーズに至っては、感染拡大防止のための自粛はやめてしまい、インフルエンザの対応と同様にするのが現実的で妥当ではないか。

 つまり、感染予防はしつつも風邪のような症状が出たら、まずは自宅で静養する。ここで70%程度は自己治癒するという話だ。症状がいつもの風邪よりも辛ければ、重い風邪かインフルエンザか溶連菌などの感染症かもしれないので病院で診察を受ける。この段階で検査ができればいい。

 さらに症状が悪化して、息苦しい、熱が下がらないなど重い場合でも効果のある薬はないので、病院に行く意味がない。しかし、人工呼吸器を装着するなど医療機器が必要な場合は、病院での治療が必要。急に悪化するときもあるようなので、経過観察に注意は必要だ。

 基本的に自宅静養で自己治癒する。医療機器がないと危ない場合だけ病院で治療する。軽症の人が病院の隔離施設を占有する必要はない。それをやると医療が崩壊する。医療設備は、重症者のみに充てる。このスタンスは、インフルエンザと同じで、違いは特効薬がないことだけだ。(特効薬がないことは重要ではあるが)

 インフルエンザにおいて健康な人でも重症化する場合はあるし、高齢者にリスクがあるのだから、言い方が適切でないかもしればいが、罹ってしまったら成り行きに任せ、困ったら病院に行く。もっといえば、運悪く死ぬときは死ぬのだ、くらいの態度でいるしかないだろう。

 思えば、たった150年ほど前までは、人類は流行病の前に無力で、ひとたびその地域、町で感染症が蔓延すれば、そのエリアは全滅したことは何度もあった。今現在が、人類史上とても恵まれているにすぎない。

  もちろん、予防は日常的に行うべきで、外国人の感染者の入国拒否や感染が蔓延している国や地域からの入国は制限すべきだ。

 このまま生活活動を自粛して経済を停滞させるリスクと健康リスクの重さに鑑みれば、どこかで割り切るしかない。