わたしの、ものさし

私の見たこと、聴いたこと、感じたこと、を書いています

原発は、やはり無いほうが良いと、いまさら実感する

 原発廃止の声をしばしば耳にする。実は私は、あまり原発の危機意識はなかったし、電力を確保するため、原発は仕方がないくらいにも思っていた。原発反対を叫ぶ人たちは、ナチュラリストや平和主義者くずれのうるさい人たちとさえ思うところもあった。

 しかし今、はっきりと原発はなくしたほうが良いという考えに至った。

 

原発がなくても電力は大丈夫

 現在、ほとんどの原発が停止しているが、生活ができ、経済活動も回っている事実。

 オーバースペックかつ不要な設備に、何億何兆円もの投資をするバカはいない。

 

・事故時のダメージが大きい

 広範囲なエリアに何十年という被害がでる。これは国土レベルのダメージ。電力供給的に不必要な原発ならば、そのリスクを取る意味がわからない。

 

 この2点に尽きる。

 原発ビジネスにかかわる大企業(三菱とか日立とか東芝とか)と国や自治体との利権は実際あるのだろう。そうでないと上のおかしな状態の説明がつかない。

 

 また今後の一番の懸念がある。北朝鮮のミサイルだ。

実は北朝鮮は日本を攻撃するのに核弾頭など必要ない。通常のミサイルを原発に当てれば済むのだから。もっといえば大陸間弾道弾すら不要だ。私が日本の敵国の軍参謀ならば、原発へのゲリラ攻撃をするだろう。宣戦布告と同時に奇襲する。コストがかからず、効果が大きい。

 

 先日、奥尻島沖200キロに北朝鮮のミサイルが着弾した。あと200キロ飛ばせば、北海道の原発に当たる。

 アメリカが開発した迎撃システムなど役に立たない。ミサイルは、北朝鮮から数分で到達する。数分の間にミサイルを捕捉し確実に撃ち落とすのは、良くて10発中せいぜい1,2発だろう。100%ではない。100%防御でないと失敗なのだ。

 ゆえに、まずは日本にある核兵器原発)をなくすことをした方がよい。

 国費のムダであること、存在が危険なこと。

これは普通の人たちの今のくらしに直結する話だ。渋谷でぶらぶらしている高校生も地方の村でのどかにくらしているおじいさんも、公園で子供と遊んでいる主婦も、すべてに関係する。そろそろ国民全員が危機を感じる時期かもしれない。

人生相談 「泊まりの旅行を嫌がる彼」

読売新聞[人生案内]泊まりの旅行を嫌がる彼

 

2016年9月1日 20代の女性。7年つき合う彼氏と、泊まりで旅行をしたことがありません。 私は旅行が好きですが、彼は温泉が嫌いで、旅行に何度誘っても行きたがりません。片道2時間ほどの場所へ日帰りで行ったことはありますが、暑さや寒さ、疲れのため、すぐに帰り…(以下不明)

 

 (わたしの回答)

 これは新聞で全部読んだので回答できます。

 彼はあなたと旅行に行かず、写真も一緒に撮ろうとしないのですよね。

 私の感覚でいえば、彼との関係を考えた方が良さそうです。人によって愛情の示し方は違いますが、少なくとも彼の態度を拝見する限り、あなたたちの先行きは明るくないように思えます。

 確かに旅行が嫌いだったり苦手な人もいますが、それ以上の確固とした拒絶感があり、何か他の理由がある気がしてなりません。そしてその理由はあまり好ましいものでない気がします。邪推が先行してしまい恐縮です。

 はっきりいえば、彼はあなたを恋人として好きでないとさえ思いますが、気になるのは写真を一緒に撮らないことです。これも邪推になりますが、写真撮影を逃れるパターンとして、逃亡犯など犯罪に絡む人や、某国のスパイであるかもしれませんし、あるいは別に恋人がいる可能性もあります。とにかくあなたと一緒にいる証拠を残せないということです。やはり非合法的な香りを感じるのは、わたしだけでしょうか。泊まりを避けるのも、宿台帳への記載がまずいのかもしれませんし、泊まる時間の確保が何等かの理由でできないのかもしれません。想像は膨らみます。

 もちろん相談の文面だけでの想像、わたしの感じたことですので、当事者であるあなたがきちんと見極めて決めることです。何事もそうですが、他人がどう評価しようとも、自分が良いと思ったことが良いのです。自分の信じた道を歩んでください。

 しかし頭で考えずに、心で違和感を覚えるならば、たぶんそれは進むべき道ではないと思います。そういうときは、情や未練を押し殺して撤退する勇気が大事です。

 

 

 

人生相談 「普通は嫌だ」 

読売新聞〔人生案内〕高校生男子「普通は嫌だ」

 

2016年8月30日  高校生の男子。「普通は嫌だ。将来は称賛と羨望のまなざしで見られるような存在になりたい」。そんな思いにとらわれています。 小さい頃から勉強も運動も得意で、中学受験をして、世間でいう名門中高一貫校に入学しました。学校でも人一倍できて、生徒会…(以下不明)

 

(わたしの回答)

※読売プレミアムに入ってないので、無料で表示されている部分だけに対する、ごく個人的な回答になります。

 今のところ順風満帆な人生を歩んでいるようですね。称賛と羨望のまなざしを受けるような存在になりたい、それを目指すことは素晴らしいことだと思います。ぜひ精進を続けてみてください。次のステージは、勉強も運動も抜きで、所属する組織やステータスに関係なく、称賛と羨望のまなざしを受けることにも挑戦したいですね。

 ただ「普通は嫌だ」とありますが、実は幸せって「普通」の中にあったりします。いろいろ経験すると感じますが、幸福は、普通じゃない高揚感とか、ハイテンション、派手な称賛のなかにはありません。それはパーティーに似ています。たまにのパーティーは楽しいですが、毎日パーティーだと数日間でうんざりするはずです。

 つまり、普通でない状態が続くと疲れてしまいますし、それらを継続させる中でそれなりの力(時間的、労力的、精神的、肉体的に)を使います。そのバランスが崩れると、称賛のために不幸な身に置いていることもあり得ます。

 普通でないことを目標とするのか、幸せを目標とするのか。「普通でない」ことは、幸せとイコールではないので、そこは気を付けてください。(所要時間:7分)

夏休みのプランB。

雨の夏休みにつき、気分がやや腐り気味。

プランB。

子どもからのリクエストでボルダリングに行く。

写真など撮っている場合じゃないので画像はありませんが、結論から言えば、自分も楽しんだ。

 


VAUDE - Boulder World Cup Finals 2012 in Munich - Women

 

危険ではありますが、見るよりもやる方が楽しいです。

 

ボルダリングは4時間登ってクタクタ。

ジムに通う慣れた人達はシビアなラインを登っていく。

スポーツジムで筋トレするよりも、何かをしながら自然と身に付く筋肉の方が美しく凄い。

 

次男は興味をもってくれて、今後続けるかもしれない。

子どもが趣味として、これからに繋がるといいな。

一番じゃなきゃダメ、ということ。

 以前、民主党事業仕分けの中で、確か蓮舫さんが「一番じゃないとダメなんですか?」発言が物議を呼んだ記憶がある。まあ、一番じゃなきゃダメということはないけどねと思えるが。

 

 で、オリンピックを見ていて感じるのは、一番じゃなきゃダメ。金メダル獲得、世界チャンピオンを目指して修練を積む、ということが大事だということ。意気込みの段階では「一番をとる」つもりで準備する。でないと2位も3位も取れない。

 このことと、結果的に2位、3位になることは、それはそれで立派だし、認め、受け入れ、良しとするのは別の問題であること。

 つまり、1番じゃなきゃダメと意気込み、勝負の結果は1番じゃなくても良い(仕方がない)ということ。

 

 そこで、なぜ意気込みとして1番を目指すべきか。

これもオリンピックを見て感じるのは、そういう気迫で勝負することで醸しだされる表情や姿勢が美しいから。

これはきっとスポーツだけの話ではないし、個人や組織、国にも同じことが言える。ゆえに蓮舫さんの問いに対しては「一番じゃなきゃダメ(な気構えでいたい)」と答えたい。

 

 私は、レスリングの吉田沙保里選手の試合ぶり、姿、表情は美しかったと思うし、結果銀メダルは堂々たるものだと思う。