わたしの、ものさし

私の見たこと、聴いたこと、感じたこと、を書いています

解決しない人間関係の揉め事

 職場の人間関係での揉め事は厄介だ。大概は理屈ではなくて、うまく言葉で説明が付かない感情的な何かが原因だ。だから、たぶん解決しないし、最適解もない。特に、女性どうしの場合は。

 

 人事異動でいろいろな部署で様々な人間関係のもつれを見てきたが、職場で人間関係が上手くいかない話はどこにでもある。今の部署にも、女性どうしの揉め事がある。

 私は、職場の同僚だからといって、仲よくする必要はないし、嫌いな人がいてもいいと思っている。ただし、その人間関係によって業務に支障が出ては困る。人間関係の揉め事があるにせよ、社会人、職業人として、まずは仕事をきちんとすることが基本的なマナーだろう。

 

 で、当事者双方の言い分を聞くと、やはり理屈ではない感情的な何かの食い違いがあるようだ。(女子高校生か!という感じだ)

 いずれにしてもこういう場合、どっちが悪い云々の問題ではない。上司が割って入り、理で解決するものでもない。(そうはいっても、上司が入らざるを得ないのだが)

 私に言わせれば、この手合いは双方に何らかの問題があって、どっちもどっちということだ。さらに経験上、「私が正しいと大声で主張し、能弁で愛想が良い方」が、実は性質が悪かったりする。(「敵は味方のフリをする」の法則)

 とにかく、本当のところは当事者以外誰も分からないから、推測は無駄のようだ。

 

 このような争いで、1つ言えるのは、双方ともヒマだということ。

暇だから争っていられる余裕がある。暇が故に相手の嫌なものを見ていられる時間がある。多忙でバタバタしているならば、揉める以前にとにかく仕事に追われるものではないか。よって、当面の打開策は、当人たちに仕事をどんどん与えること。私はそう考えている。

明晰夢

 夢の中で「これは、自分が見ている夢の中だ」と認識できる夢を、「明晰夢」と言うらしい。この明晰夢の中では、夢をある程度コントロールができるし、現実の世界では無理なことでも自分の思ったことが出来るので楽しい。

 以前、私はこの明晰夢を数回見たことがある。そのときはスーパーマンのように空を飛んだ。そのとき、夢の中で「これは夢だ」と分かり、高いところが苦手ながらも夢の中のためか恐怖感はなく、とにかく「飛べる」と思って空高く飛んだ。夕陽の空の中を地上から100mほど上空を飛んでいて、とても美しい風景だった記憶がある。

 その後、明晰夢をなかなか見ることができない。この明晰夢について調べると、明晰夢を見やすくするコツがあるらしい。

 その中のひとつをここ数日試している。自己暗示のようなもので「次に見る夢を、自分は自分の夢であると認識できる」と寝る直前に言葉に出すというもの。しかし、そう簡単に明晰夢を見ることはできていない。ただ、寝る前に「こんな夢をみたい」と思ったことに近い内容の夢を数回に1度は見ている。

  

 睡眠時間を6時間としても、生きている時間の少なくとも25%は寝ている時間になる。そのときに見る夢の内容は、人生に大きな影響を与えるだろう。そして、人によっては無駄と思えるかもしれない睡眠時間が、もっとも楽しいオリジナルのエンターテイメントへと変わる。

 今後も明晰夢を見るコツとやらを色々試し続けて、夢を自在にコントロールできるように挑戦してみようと思う。

 

 

今と昔のインフルエンザ

 毎年、子どもがインフルエンザに罹る。ワクチンは接種していない。ワクチンを接種しても罹るので、数年前からワクチン接種を止めてしまった。たとえ罹っても、抗インフルエンザ薬ですぐに熱は引いてしまい、症状は楽になる。

 私が小学生の頃、インフルエンザという言葉は聞いていたが、身近で流行って学級閉鎖になった記憶がない。あっても、数年に一度だったように思う。ところが、今は、毎年子どもの学校でインフルエンザが流行り学級閉鎖がしばしば発生する。昔と今の流行り具合の差は、何なのだろう。

 一番の原因は、生活上の行動範囲の広がりではないかと考えている。私が小学生のころは、日常の生活は町の中で完結していた。買い物は近所の商店街かスーパーで、電車に乗って映画を観に行ったりするのは、ちょっとしたイベントだった。

 しかし、今は違う。子どもは親と一緒に数キロ離れたショッピングモールにも行くし、車でシネコンに行き、映画を観たりする。塾通いも一般的になり学区を超えた行動範囲と広くなった。その分、インフルエンザなどの感染症が拡大しやすくなったのではないか。 

 

批判されることへの覚悟

 複雑な厄介ごと(と思うもの)の本質にある原因は、1つの「恐れ」であることが多い。それは、批判されること、評価を落とすことへの恐怖心。

 具体的な例がパッと出てこないが、例えば、仕事で失敗したとき、それをどうしようか、どう対応しようかと悶々と悩んだりする。とんだトラブルに遭ったと自分の感情と生活が荒れだす。

 本来、感情的に悩むのではなく、理性的に対応を考えるところだが、悩んでマヒ状態になる。なぜか。それは恐怖心に覆われているから。

 上司や同僚から責められる、評判を落とすことへの恐怖だ。

 その恐怖は、批判される覚悟と批判され、評価が下がることを受け入れてしまうことで、あっさりと解消する。とらえどころのない恐怖心がなくなると、何をいつ誰に相談して対応すれば、その事象が好転するかが見えてきて、悶々としていた悩みや厄介ごとは意外と簡単にほどける知恵の輪になる。

 仕事の失敗を例に挙げたが、これは何でもそうだ。恋愛でも結婚でも学校生活でも友人との関係でも。特に今あるステータスから落ちる(保身)とか、常識から外れてしまうことへの恐怖も、すべて批判される恐怖の一種。

 この批判される恐怖を、批判される覚悟に変えると、随分と楽になる。心身が軽くなる。

 今、あるトラブルで職場が右往左往している。それはやはり批判される恐怖が根底にあって、そこを受け入れてしまえば、どっちを選択しても正解だと私は思えるが、組織としては批判されることが致命的とするのだろうな。くだらないことで労力と時間を使うものだなと眺めている。

豊川稲荷東京別院

 東京の都心にある豊川稲荷東京別院は以前から気になっていた。

 稲荷とあるが、ご本尊はダキニ天(吒枳尼天)という仏教系の仏様になる。白狐に乗った天女の姿とされている。

そこで、参拝は神社式か、お寺式かどちらなのだろう。神仏習合で神仏がまじりあっているのはよくあるが、豊川稲荷はお寺式の参拝になるようだ。

 関東三十六不動巡りのメトロ南北線沿いの目黒不動、等々力不動を巡るにあたり、まずは豊川稲荷に参拝することにした。

 青山通り沿いにある豊川稲荷東京別院は都心にありながら、その境内の空気が澄んでいて清らかさがあり、とても心地よい場所だった。木々が高く周囲の無機質なビルを隠しているのもあって、東京の都心であることを忘れてしまう。

 

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 境内には七福神といくつかの稲荷社があった。参道や境内には狛狐がたくさんいて、無礼者は許さないという気迫を感じる。

 奥の宮はこじんまりとしていて、祭壇も近い。本堂よりこちらの方が落ち着く。気後れせずに扉を開けて上がった方が良い。祭壇には、確か鏡のようなものがあって、神社の雰囲気がある。でも、祝詞ではなく、熱心に経文を唱える方がいたので、やはり仏教式だ。

豊川稲荷東京別院は、出世、成功、富の祈願などで信仰を集めているようだ。

 写経を収め、御朱印をいただく。達筆で美しい。

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