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わたしの、ものさし

私の見たこと、聴いたこと、感じたこと、を書いています

子どものスマホに違和感があることの整理

 うちの息子が今年から中学生になりましたが、中学生になるとスマホを保有する子が多くなるようです。このことについては、個人的に違和感アリまくりで、子供には可能な限り持たせたくないという情緒的、感覚的な反応や思いがあります。この理不尽な嫌悪感を整理してみました。

 ちなみに、うちの子にはまだスマホを与えていません。

 

  • 携帯端末はコミュニケーションのツール。そもそもコミュニケーションそのものが成熟していない子どもに、このようなツールは不要であり、害すらある。

 

 私もコミュニケーション能力が未熟なのですが、メールなどを介してのやり取りは、ときに誤解を生じることがあります。

 子どもならなおさらでしょう。しばしば犯罪に巻き込まれること、SNS上のイジメなどは、この延長にあるのだと思います。スマホは受け取る場合と発信する機能があります。発信は武器、凶器にもあり得るのです。

 子どもに自動車の運転免許を交付しないのと同様の線引きがあっても良いと思います。

 

  • 人との繋がりが逆にイージーになった。

  こうかくとおじさんの僻みになるのですが、そう捉えていただいても結構です。

 ほんの20年前までは携帯電話すらなかった。友人との連絡は家の電話でした。いまでは考えられない状況ですが、それでも社会は回っていました。(おおよそ40歳程度以上の方は覚えていると思います)確かに外出すると相手が固定電話の近くにいなければ連絡が取れなくなります。待ち合わせで相手が都合は悪くなり、ずっと待ちぼうけってことは結構ありました。今では考えられないことです。(その分、ドラマチックだった気もします)

 なによりも、彼女との連絡も家の電話で、しばしば電話口に相手の親が出て緊張したものです。彼女と付き合うに伴う「ハードル」があったのです。

 あの苦労・・・あの緊張感は、ある意味重要だったと思います。付き合いに重みがありましたし、親も、自分の子が誰と交流があるのかを何となく知っていたのです。

 今は本人直接に繋がります。そんなハードルなしに繋がりすぎて、これもまたいろいろな副作用も出ていますが、安易につながるがゆえに、人との付き合いも軽いものになった感もあります。

 私は、あの不便な時代の青春を生きたという、効果不明の矜持があります。

 もちろん、自分の青春時代に携帯があったらよかったな~という軽い僻みも多分に含まれます。若いうちには不便を味わうことが必要です。

 

  • もちろん家計に負担。

  通信費は意外と高いです。多くの人はゲームかネットかメール、ラインを使う程度です。確かにいざというときは便利ですが、費用対効果を真剣に考えると、特に子どもにおいては考えものだと思います。100歩譲って携帯を持たすにしても、スマホでなく通話機能のみのPHSで十分だと思います。

 

 

 以上、僻みを含んだ理屈を書きましたが、もちろんスマホが便利で、特に子どもの防犯にも役立つことは理解しています。まったくの害ではありません。メリットも多いです。江戸時代の人が現代の自動車を見れば、手放しでその便利さに感動するだろうし、年間の自動車事故で亡くなる人が多く存在しても、いまさら自動車を無くそうとは言わないのと同様に、スマホもなくならないでしょう。

 ただ、その他の文明の利器よりもはるかに身近であり人の基本的な部分に影響力がある分、特に子どものスマホの使い方には注意ではないでしょうか。

 根源的には、子どもにスマホを使わせてしまうような社会の在り方にも問題があるのかもしれません。うがった見方をすれば、子どもにスマホを与えれば、ある程度子どもの世話をせずに済むのです。親や大人が、子どもにスマホを使わせることで、社会を都合の良いように回しているとも言えるのですから。