わたしの、ものさし

私の見たこと、聴いたこと、感じたこと、を書いています

目には目を歯には歯を

 失ったときに、当然だと思っていたことの有り難さを痛感する。

 ゆえに、今現在、有り難いことだらけに囲まれているのだと思う。

 

 生まれつき、私は目と歯が良かった。視力は2.0をずっとキープし、100m先の人の顔を認識できたし、何もかもクリアに見えた。視力の悪い人が見る世界を想すらできなかった。大きな部屋の隅々までハッキリとみることができた。

 しかし、40を半ばまできた最近、老眼がでてきて、至近距離がボヤけるようになった。困るのは本を読むときだ。30cm以上話さないと文字がボヤける。通勤電車で本が読みづらいし、仕事でも老眼鏡は必需品となった。

 若いころ、眼鏡に憧れた。伊達眼鏡すら買ったことがあるが、裸眼でくっきりと世界を見ていた。それが当然だと思っていたが、今、その有り難さがしみじみわかる。

 眼鏡がないと仕事や読書がしづらいというのは、つまり日常的に身体機能をサポートする道具に依存しないと生活できない状況にあることだ。小さいころからそういう状況とは違い、急にそうなったことのもどかしさと息苦しさは大きい。

 身体機能的に何かに依存しないといけないというのは、自由ではない。でかけるときに持ち物が増える。

 何かがなければ不都合ならば、それは不自由な状態だ。

 何もなくても大丈夫、というのが本当の自由だ。

 

 歯は相変わらず丈夫で、虫歯になったことがない。

 虫歯でしばしば通院する周囲の人を見ると、これは有り難いギフトだ。

 ただ、親不知周辺が怪しくなってきた。歯科医からは親不知を抜くことを勧められているが、自然にしっかりある歯を抜くのはしんどいため様子見を継続している。丁寧に磨こう。奥歯をグリグリと抜くのは嫌だ。。。