わたしの、ものさし

私の見たこと、聴いたこと、感じたこと、を書いています

学校の成績

 今年の4月に中学生になった長男は、テストの洗礼を受けました。

 小学6年とのギャップがあるし、確かに内容がぐんと難しくなっていますね。中間テストの結果、本人が塾に行きたいと言い出し、塾に通うようになりました。

 そして期末テストは、私も予想問題で支援。息子は部活をしながら、よく勉強したと思います。結果は、平均以下でした。たぶん、少しだけ勉強のコツが足りないようです。

 

 今、この歳になってつくづく思うことがあります。

 成績や学歴よりも、もっと重要なことがある。それは「力強い自己肯定感」です。

 確かに学校の勉強は大事で、社会に出ても役立つ知識は多い。役に立たなくても成長期に頭を鍛えることは重要だし、特に数学は大事な科目(論理的考察の鍛錬)だと思います。

 ただ、おそらく日本(というかアジア圏か)の教育の問題としては、成績順位が強すぎることではないでしょうか。

 順位づけは客観的でわかりやすく、学校側の評価上、便利でしょうが、副作用も大きいです。学校の成績は子供の自己肯定感に直結しやすい。これは親や社会のスタンスの問題でもあります。

 かくして、学校の成績が軸になって個人の評価がされて、以後の人生のものさしになっていきます。これでも私のころよりは大分薄れつつありますけど。

 

 結局、学校の勉強は、知識、学問を学ぶ目的もありますが、実は、自己肯定感を増やすためでもあります。成績の良い子はよいでしょうが、悪い子は自分をダメだと感じてしまいます。勉強の成績は、人の一部の側面でしかないのですが、それが全てのように評価される傾向にあるのが今の学校です。単純に半分の子どもたちが、勉強で自己肯定感を下げることになります。

 もちろん、成績が良い子も進学し、あるいは社会に出て、点数や成績をモノサシにして自分を認めるため、少しズレると自己肯定感が下がりだします。勝ちっぱなしの人は限りなく少ないため、多くの人が自己嫌悪感を持つことになります。

 先日、塾の保護者会に参加しましたが、もう、点数と順位だけの世界で、大きな違和感を覚えました。(これが現実でしょうけど)

 

 では、点数と順位づけをやめると、評価指標に困り、非常に手間になります。どうしても評価をしてランキングにしないと回らないのが今の社会ですから。

 

 では、どうあるべきか。社会の仕組み全体に関わってくるので如何ともしがたいのですが、一番簡単にできることは、親が学校教育の副作用を見切り、子どもをサポートすることでしょうか。歴史的にみても、そのような親がいる子どもは、大きく成長します。(エジソンあたりは顕著な例でしょうか)

 

 自分で自分を認められない人の行く末は、明るいものではありません。子どもは根拠なく自分を認めてしまうくらいでよく、それをサポートするのが大人の大事な役割だと考えています。