わたしの、ものさし

私の見たこと、聴いたこと、感じたこと、を書いています

10番目の男

 ブラッド・ピット主演の映画「ワールドウォーZ」は好きな映画の一つで、しばしば繰り返し観ている。要するに原因不明だがゾンビがアウトブレイクするパニック映画なのだが、話のディテールが面白い。続編があるらしいので、楽しみに待っている。

 ところで、この映画の中で、イスラエルの情報機関がゾンビの危機を察知し防御に成功した理由として「10番目の男」の話をするシーンがある。

 「10番目の男」とは、過去にユダヤ人が察知し回避できなかった民族的な悲劇を教訓にし、同じ情報を基に9人が同じ結論を出した場合、10番目の男は9人に対して(内心はどうであれ)とにかく反論し、9人が間違っている仮説を立てる義務があるというもの。

 これは組織でありがちな集団的な思考、常識的な論理が絶対で、万一のことはまず起こらないだろうという思い込みから生じる甚大なリスクを回避するための仕組み。イスラエル諜報機関で採用しているルールらしいが映画の中の話か事実かは不明だが、これは非常に興味深い。

 普段、我々は、常識、世間体、過去の実績、多数意見、権威ある者の見解などに弱く、これらに盲目的に従ってしまう。少なくとも無視できない心理にある。

 同様に、その組織内のコンセンサスや、会議での合意、同業者の解釈といったことも、正しい、少なくとも大きな間違いはないという前提で受け入れてしまう。これらは、普段と変わりない事態への対応では有効だろうが、実は今までの対応事態が間違っているということさえ有り得る。

 日本は調和を重んじ、孤立した意見は疎んじられるが、この「10番目の男」の仕組みは、いろいろな組織、コミュニティーで取り入れると面白いし、何かを良い方に変えるトリガーになるかもしれない。

 

 ということで、ほぼそういうものだという事柄に対して、あえて私は「10番目の男」としての反論を書いてみようと思う。(内心はどうであれ)

I am what I eat.

 私の体は、私が食べるものから出来ている。

 I am what I eat.

 だから食べ物、飲み物は、いい加減にできない。

 

  同様に、私の心は、私の見たもの、聞いたもの、感じたものに大きく影響を受けるのだと思う。

 だから、見るもの、聞くもの、を可能な限り良いものにしたいし、嫌な感じのものには近づきたくない。

 

大人数で臨むのはやめましょう

  いろいろなビジネス書(仕事術)を読んでいると、同時並行で複数のプロジェクトをやることを進めるものと、そうでないものがある。結局、その時の状況にもよるし、業種や個人の資質にもよるので、正解は無い。

 今現在の私としては、同時並行で複数の仕事を持ちすぎると、頭が飽和状態になるので、一つひとつ取り組みたい状況。そうはいっても、いろいろな仕事が舞い込んでくるので、マルチタスクにならざるを得ない。

そういうときに、上司がいろいろな会議に陪席させようとするからイライラする。私はその打合せに必要ですか?

 会社組織でよくあることかもしれないが、会議とか打合せプレゼンとかで、大人数で臨む傾向がある。本来、その内容にふさわしい人、専門知識を持つ人、決定権を持つ人、が参加すればよい。参加者の大部分がいなくても会議に影響がなかったりすることがほとんど。情報の共有といえば聞こえはいいが、多くの人を会議に巻き込むと、その間、その人たちの作業が滞る。

いわゆる業務の効率化だとか、意思決定の明確化を図るならば、まずは会議は肝心要の人が参加することとし、その結論を共有すればいい。徒党を組んで打合せをするのはやめましょう。

世界で統一したい規格

 先日、アメリカに出張した。そのとき感じたことの一つとしては、規格の統一ということ。出張の準備でいろいろと揃えていると、電子機器の充電器がいろいろと出てきた。

 そもそも国によって電圧とコンセント口の形状が違うが、これは統一すべきだ。(アメリカの場合、州にもよるが、日本規格のコンセントはそのまま使える)

 機器の充電接続口によって充電器を揃えなければならないのは、なんとも厄介だ。まず、iPhoneAndroidの充電器が違うのも腹が立つが、小型の電子機器(タブレットスマホ、カメラ、IQOS、電気シェイバーなど)は、すべて充電器の規格を統一すべきだ。外出するとき1つの充電器で済むし、忘れた場合は誰かが持っているだろう。

 

 以上、電子機器の充電や接続に関する規格の統一だが、アメリカの地下鉄に乗るときに思ったこととして、現地の駅でもSuicaが使えれば便利だということ。別にSuicaである必要はないが、とにかく世界中どこでもお金をジャージしたカードで地下鉄、バス売店で買い物ができると便利だ。決済はその時点の前日の終値ですればいい。そうすれば外国の通貨に替えなくていい。

 そのアメリカの地下鉄の切符は現金で買うか、特定の店でチャージされたカードを買うかだった。カードを買うのに地下鉄に乗っていく距離なので、カードは買わなかったが、切符の販売機の使い勝手の悪さには驚いた。そこで世界共通のSuicaがあればいいなと感じた。

 充電器の統一はそのうち統一されるだろうが、世界共通のSnicaはタッチする装置などのインフラ整備もあるので、なかなか進まないだろう。日本ほど日常的に隅々まで整備され浸透している国は無い。

それよりも最近流行っている仮想通貨での決済になるかもしれないし、根本的に世界通貨の統一の時代が来るかもしれない。

 

平昌オリンピック 女子カーリングが面白い

 平昌オリンピックを見ていて、特に女子カーリングが面白い。

 通常の競技は、スピードや技を競う。いずれも短時間(数十秒から数分)で終わってしまう。しかし、カーリングの試合時間は3時間に及ぶ。どの競技よりも試合時間が長く、ゆえにテレビに映る時間が長い。メディアへの露出という点でいえば、カーリングはパフォーマンスが高い。3時間といえば一般的な映画や特番ドラマよりも長いのだ。メディアに出ることを望む選手には、おいしい競技といえる。

 

 さて、カーリングは、コンマ何秒のスピードでもアクロバティックな技や芸術性を競うものではない。0.1秒いや1秒の差と言われても一般人にはピンとこないし、フリースタイルのスキーのように、一瞬の技で何が起こっているのか素人には分からない。ナインハンドレッド(900)と言われても、回転角度かと理解したときには、選手は既に演技を終えている。

 一方、カーリングは落ち着いて見ることができる。ストーンの位置による得点を競うもので、基本ルールさえ理解すれば、誰でも一目瞭然に試合展開が分かる。そこが視聴にやさしい競技といえるし、見ていて面白くてのめりこめる。また、試合中の選手たちの様子も音声で聞こえてくるし、休憩時間の様子も見ることができ、選手との一体感も味わえる。(休憩中、選手たちが食べていたお菓子「赤いサイロ」に問合せが殺到したとか)

 ストーンがみごと良いラインを作り、相手の石を弾き飛ばすときの気持ちよさ。転倒とかケガをするようなアクシデントは無いので安心して見ていられる。

 そうはいっても戦略的で頭脳戦の競技なので、ストーンの行く末をドキドキしながら見入ってしまう。カーリングは面白い。