わたしの、ものさし

私の見たこと、聴いたこと、感じたこと、を書いています

その季節らしい天気が一番

 8月に入って雨の日が続いた。涼しくて過ごしやすいのはいいが、やはり夏らしくない日が続くと、感覚的にマズイ気がする。

 この長雨はオホーツク高気圧の張り出しの影響らしく、いわゆる「やませ」が発生したのが原因だ。「やませ」は、学校の地理で学んだ記憶がある。教科書ではなく実際に生活の中で体験してみると、気温が低く日照時間が少なくて、夏らしさがない。これではいろいろと経済面でも影響が出るだろう。特に、関東から東北の農業にはダメージが出るはず。

 江戸時代に、しばしば大きな飢饉が発生して多くの人が亡くなった。その飢饉の原因の1つが、この「やませ」による不作。今のようにビニールハウスもなければ、冷夏に対する技術もなく、他の地域からの食糧の流通もなかった昔では、文字通り死活問題。大変困ったに違いない。

 やはり、その季節らしい天候が一番のようだ。

 涼しい日々が続く中で、高校野球も終わり、あっという間に8月も末日になった。暦の上では、すっかり秋。日もだんだん短くなってきている。

 秋冬の季節もまた良し。先日、ツイードジャケットの袖の直しを出し、冬の準備をしている。

カール

 明治製菓のカールが東日本で販売停止になるという発表以来、カールを見かける度に買っている。(昔からカレー味が好きだ)

 カールは発売から40数年。自分の人生とともにあった身近なお菓子。小さいころに食べたお菓子は強烈に刷り込まれるせいか、大人になっても選んでしまう。そのためか、お菓子といえば、「ポテトチップスの塩味」とか「かっぱえびせん」といった定番を好む。(流行の味や限定味には手が出ない)

 カールの東日本の販売停止を聞いて、確かに、ここずっとカールを買っていなかったな、と反省した。そういう人が多いから、販売縮小になった。商品は消費者の支持があって持続できる。商品は消費者が支え、滅ぼしもする。

 明治製菓にすれば、ふわふわで場所をとる100円のカールを製造販売するのは費用対効果からすれば分が悪い。今ヒットしている明治の「ザ・チョコレート」は嵩張らず、単価も高いので収益率が良いのだろう。カールの生産ラインをチョコレートにシフトするのは、経営戦略として当然だ。最近は少し高価でもそれに見合った質のものが選ばれる。そうであれば、スーパーリッチなカールを展開するのも手だが、私がアレコレ考えることではない。

 とにかく、幼いころからの定番のお菓子が買えなくなることは寂しい。

たとえば、一流パティシエが作る高価なケーキとカールのどちらが偉大かいう議論はナンセンスだが、あえてするとすれば、私はカールとしたい。なぜなら、国民的に広く認知されており、日本人ならおそらく一度は食べたことがある、あるいは少なくとも見たことがあるに違いない。より広く、多くの人に気軽に親しまれ、愛される商品こそ尊い

 今後、カールの二の舞を防ぐために、私の定番であるカルビーかっぱえびせんを定期的に買おうと思う。

 

明治 カールチーズあじ 64g×10袋

明治 カールチーズあじ 64g×10袋

 
明治 カールカレーあじ 66g

明治 カールカレーあじ 66g

 

 

日本の謎の休みの取り方

 今朝の通勤電車は空いていて快適だった。通常の平日に比べて4割くらい少ないだろうか。東京は、これくらいの人数が丁度よい。普段が過密すぎる。

 

 フランス人が日本人の夏休みの取り方に違和感を覚えるというニュースがあった。国や民族が違えば、休みの取り方は違うだろうが、私も日本の休みの取り方は以前からおかしいと思っている。休暇に関する違和感は、おそらく日本人の多くがおかしいと思っていて、ただ、あまり口に出さずにいるか、行動に出さない(出せない)だけだろう。

 

 日本の休みの取り方のおかしさ。

 まず、みんなが一斉に、ほぼ同時期に休むということ。ゆえに観光地は混雑し、休日なのに変に疲れてしまうこと。

なぜ、満員の通勤電車から解放される休日に、高速道路や新幹線で渋滞や混雑を味わうのか。観光地で混雑に遭い、アトラクションに1時間も待つのか。

 不思議だ。みんなと同じ時期に休むことにおいて、おそらく謎の安心感があるのだろう。日々の仕事に追われているから、みんなと一緒に休めば取り残された感はない。

 

 2つ目は、短いこと。昔に比べれば年間の休日も増え、労働時間短縮の傾向になっている。しかし、欧米に比べれば短い。社会人になったら長い休みが取れない、長めの旅とか趣味に没頭するとか、海や山でのんびり過ごすことができないという環境、社会人になったら休日を十分取れないという環境は寂しいし窮屈だ。

 

 最後に3つ目として、夏休みは「何かをしないといけない」という、これも謎の強迫観念がある。これは休みが取りづらく短いから、有意義に活用したいし、するべきだということだろう。休みが長ければ、自然と余裕もでて何もしないことへの焦りも出てこない。

 いずれにしても、休みの日には何かをしなければいけない、何もしないで過ごすのは勿体ない、という感覚が前提にあるのもおかしい。結果的に何もしなかった場合、空虚感に陥ったり、後悔したりするのではないだろうか。もちろん、計画的にやりたいことをしたり、アクティブに行動する休日も素敵だが、特に予定もなく、のんびりと何もしない休日であってもよいのだ。

 

 かくいう私も、11日からの連休を無為に過ごし、なんとなく勿体なかったなという念が正直あるのだが。。

4ヶ月ぶりの、仕事帰りの飲み会

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飲み会と言っても、同僚と2人で気軽に池袋のやきとん屋で飲む。

4月から異動して、多忙でずっと走り続けた感のある仕事が、やっと跳ねて一段落した。個人的にはその打ち上げである。

 

やきとんが美味い。特に白モツが気に入って、追加で3串注文してしまった。

狭い店だけど、何でも美味い。

生ビール他3杯飲んで一時間半、じゃあ、お疲れ様と解散。

さっぱりした男飲みが心地よい。

 

残業無しに仕事を上がり、飲んで帰れること。

気軽に誘えて飲める同僚がいること。

これは有難いことなのだと感じた。

 

そう、大事なのは「何を食べ、飲むか」ではなく、「誰と食べ、飲むか」なのだ。

君の名は。

 「君の名は。」は、昨年の夏に記録的なヒットになった映画だと知っていた。しかし、スルーして映画館で観ずにいた。

 昨年の秋、同僚の実家の岐阜県に遊びに連れて行ったもらった時に、映画に出てくる駅だと教えてもらい、飛騨古川駅を訪れた。映画を観てないので、どういうシーンで出てくる駅か分からず、何の感慨もなかった。観光客はそれなりにいた。

 

君の名は。」のDVDがレンタルリリースされ、TSUTAYAで借りて観た。

ヒットしたあの映画は、こういうストーリーだったか。そうか、昨年訪れたあの駅は、主人公の一人が想いを抱いて東京へ向かう際に使った駅だったのか。

 

 この映画は、一部で批判もあるようだが、私は好きだ。

 恋愛ドラマというよりは、時と場所の交錯するところが物語として絶妙。いろいろな伏線が上手に絡み合ってストーリーが構成され、何より、よかったね~って思える結末で安心する。