わたしの、ものさし

私の見たこと、聴いたこと、感じたこと、を書いています

親子が無事でありますように

 連休中、新潟の五頭連邦に登山に行った親子が行方不明になり、5月5日から今日14日まで見つかっておらず、捜査が続いている。

 登山をかじり、また子どもがいる私としては、とても気になるニュースで行方不明の一報からずっとその進展を気にしている。

 この手の事故やニュースがあると、「なんで小さな子どもを連れて行くんだ」とか、「登山は自己責任だから税金の無駄使い(捜索など)はやめてしまえ」などの声を見聞きする。今回のニュースに対してもそのような声があるようだ。

 だけど、どうかそんなことは言わないで欲しい。

 

 私は、その新潟の山がどんなルートなのかは分からない。ニュース映像で見ると、残雪が残っているようなので、気軽なハイキングレベルではなさそうだ。また、その親子の登山におけるポテンシャルも分からない。親は熟練のクライマーで、その子どもが小さいころから一緒にこの程度の登山をしていたのかもしれないし、あるいは登山初心者で事前情報収集も準備もあまりしていない方かもしれない。

 背景はわからないが、ただ言えることは、5月の連休に、親子で登山をして有意義な時間を過ごそう。息子に自然の美しさを見せて、登山の楽しさを味あわせたいという純粋な想いがあったのだろうな、ということ。そしてその想い自体は、親として尊いものではないか。

 しかし結果的に遭難してしまった。

 私であれば、子どもに何かあっても自力で下山できるルートや対策を考えたうえで登る。(少なくとも子連れであれば、万一の事故があっても、周囲に救助を頼めるような、登山者が多い山やルートを選ぶ。)アレコレと今後同じようなことが起きないようにすることは大事。

 ただ、そういうアレコレは後回しだ。まずは親子が無事に見つかってほしい。

 

 行方不明になって、1週間が経つ。人は思った以上に強いので、まだ希望はある一方で、かなり厳しい時期に入ってきたとも思う。遭難場所によるが、標高500mとしても、朝晩はそこそこ冷え込む。大ケガがなければ、一番の脅威は低体温症だ。

 どうか、行方不明の親子が無事でありますように。

 登山は危険もあるが、良い経験になる。特に子どもたちには、登山の厳しさも含めて登山での自然体験をしてほしい。このことは、登山をした方の共通認識ではないだろうか。

 

 

桜が咲き、散りだすころに

 人事異動の季節になった。私の部署でも数人が異動する。毎回、異動者を送別するにあたり思うのは、この人たちともっと交流を深めておけば良かった、ということ。

 職場の同僚たちとは日々日常的に顔を合わしているので、つい、いつでも飲みに行ける、酒を手段としないまでも、何らかでコミュニケーションがいつでも取れる意識があって、結局、そういう機会を持たない。そうして送別会のときに、もっと親交を深めておけばよかったと思う。

 結局、人なのだと思う。どんな場所で、どんな組織に所属し、どんな仕事をして、どれだけ成果を出したとか、稼いだとかというよりも、どんな人と一緒にどのように過ごしたのか。これが一番大切ということだ。

 毎年この桜が咲き、散りだすころにある別れのたびに思うことを、常日頃の意識に昇華していたい。たぶん、面白い人生のコツってそのへんにあるのだ。

10番目の男

 ブラッド・ピット主演の映画「ワールドウォーZ」は好きな映画の一つで、しばしば繰り返し観ている。要するに原因不明だがゾンビがアウトブレイクするパニック映画なのだが、話のディテールが面白い。続編があるらしいので、楽しみに待っている。

 ところで、この映画の中で、イスラエルの情報機関がゾンビの危機を察知し防御に成功した理由として「10番目の男」の話をするシーンがある。

 「10番目の男」とは、過去にユダヤ人が察知し回避できなかった民族的な悲劇を教訓にし、同じ情報を基に9人が同じ結論を出した場合、10番目の男は9人に対して(内心はどうであれ)とにかく反論し、9人が間違っている仮説を立てる義務があるというもの。

 これは組織でありがちな集団的な思考、常識的な論理が絶対で、万一のことはまず起こらないだろうという思い込みから生じる甚大なリスクを回避するための仕組み。イスラエル諜報機関で採用しているルールらしいが映画の中の話か事実かは不明だが、これは非常に興味深い。

 普段、我々は、常識、世間体、過去の実績、多数意見、権威ある者の見解などに弱く、これらに盲目的に従ってしまう。少なくとも無視できない心理にある。

 同様に、その組織内のコンセンサスや、会議での合意、同業者の解釈といったことも、正しい、少なくとも大きな間違いはないという前提で受け入れてしまう。これらは、普段と変わりない事態への対応では有効だろうが、実は今までの対応事態が間違っているということさえ有り得る。

 日本は調和を重んじ、孤立した意見は疎んじられるが、この「10番目の男」の仕組みは、いろいろな組織、コミュニティーで取り入れると面白いし、何かを良い方に変えるトリガーになるかもしれない。

 

 ということで、ほぼそういうものだという事柄に対して、あえて私は「10番目の男」としての反論を書いてみようと思う。(内心はどうであれ)

I am what I eat.

 私の体は、私が食べるものから出来ている。

 I am what I eat.

 だから食べ物、飲み物は、いい加減にできない。

 

  同様に、私の心は、私の見たもの、聞いたもの、感じたものに大きく影響を受けるのだと思う。

 だから、見るもの、聞くもの、を可能な限り良いものにしたいし、嫌な感じのものには近づきたくない。

 

大人数で臨むのはやめましょう

  いろいろなビジネス書(仕事術)を読んでいると、同時並行で複数のプロジェクトをやることを進めるものと、そうでないものがある。結局、その時の状況にもよるし、業種や個人の資質にもよるので、正解は無い。

 今現在の私としては、同時並行で複数の仕事を持ちすぎると、頭が飽和状態になるので、一つひとつ取り組みたい状況。そうはいっても、いろいろな仕事が舞い込んでくるので、マルチタスクにならざるを得ない。

そういうときに、上司がいろいろな会議に陪席させようとするからイライラする。私はその打合せに必要ですか?

 会社組織でよくあることかもしれないが、会議とか打合せプレゼンとかで、大人数で臨む傾向がある。本来、その内容にふさわしい人、専門知識を持つ人、決定権を持つ人、が参加すればよい。参加者の大部分がいなくても会議に影響がなかったりすることがほとんど。情報の共有といえば聞こえはいいが、多くの人を会議に巻き込むと、その間、その人たちの作業が滞る。

いわゆる業務の効率化だとか、意思決定の明確化を図るならば、まずは会議は肝心要の人が参加することとし、その結論を共有すればいい。徒党を組んで打合せをするのはやめましょう。