わたしの、ものさし

私の見たこと、聴いたこと、感じたこと、を書いています

パワフルな日の記録

今日は体調、マインドともに好調で、何もかもがパワフルでスムーズに進む日だったので記録しておく。

とにかく気力体力が充実し、仕事、コミュニケーション、通勤電車の接続まですべてが良い。

こんな日が年に数日あるが、今日がその1日だ。

他の日との違いは何だろう。

前日夜からのことを記録する。

10帰宅で晩御飯。トーフハンバーグに焼き野菜、アサリの味噌汁。

缶ビールを1本のみ、12時ごろ布団にはいるも、暑くて寝苦しくて寝付きは悪い。

夜中に何度か目覚め、あまり睡眠がとれず、いつもより早く起き出す。6時起床。

ミネラルウォーターと炭酸水を飲む。

シャワーを浴びて、洗濯を回して干す。花壇の水やりをする。

ゴミをだしてトースト二枚。

朝一の打合せがあるので、いつもより早く家を出る。

クールビズにつき、リネンの白いシャツ、ネイビーのチノパン、黒のVチップに靴下はベリーショート。かばんはビーンのネイビー、レッド。

音楽を聞きながら通勤。いつもの喫煙所で一服。朝の空気が少し涼しく気持ちいい。

早めに職場に着き、資料準備。

上司とM、Sと打合せ。

その後、Hと打合せし、お昼は仕出し弁当。メニューは雑多すぎてフォローできず。

おやつの柿の種をコンビニで買い、いつものとおりホットコーヒーをドリップで入れて飲む。

午後は資料のリバイス

残業は8時まで。仕事が進む。オフィスのエレベーターを使わず、階段で移動。

とにかく感覚的に気持ちよくて好調。

さて、晩御飯は何だろう。

単機能の美しさ

 マルチタスクという言葉がある。同時に複数の仕事をやることだ。

 1つの仕事でも相手や会議での反応や方針待ちだったりで、手が空く時間が必ずあり、その間は別の仕事をするというもので、いろいろと複雑になっている現在では誰もが経験しているはず。

 私もいろいろなタフクは流れ込んできて、マルチタスク状態にならざるを得ない。

 だが、どうにも手が回らず、結局、仕事がもれたり、雑になってしまう。マルチタスクで一度にたくさんのプロジェクトを抱えてます的な人は、仕事ができる、頭がキレる、かっこいい、というイメージが一般にある。しかし、私個人としては、おいおいホントかなと。

 先も書いたように、あれもこれものマルチタスクでは、手が行き届かず仕事が漏れたり、完成度が低くなる。人の能力にもよるが、多すぎる案件を同時に処理していくのは無理がある。

 家電製品でもそうだが、多機能であればあるほど、製品としての魅力が分からなくなるし、機能の一つがすぐに故障したりする。一方で単機能の製品は丈夫でその性能に特化しているので、その1つの機能は信頼できる傾向になる。また、マルチタレントで活躍している人も、きっと数十年後、そんな人もいたけど、結局、何をしていた人だっけ?となるのではないか。

 マルチタスクよりも、できる範囲の仕事を選択し、そこに集中する。いろいろな案件を同時にさばくことはカッコいいかもしれないけど、個々のパフォーマンスは悪いのではないか。

 多機能よりも単機能の方が、その機能として魅力的だ。単機能の美しさ。忙しすぎる最近、そんなことを感じている。

最期の言葉

小林麻央さんが亡くなった。

特にファンでもなかったので彼女に関心がなく、市川海老蔵の妻がガンなのか、同じく子を持つ親としては、小さな子がいる中で大変だろうし辛いだろうな、と思っていた。

おそらく自分がそういう状況になると、自分の身がどうのというよりは、子どもたちの行く末が心配だとか、少なくとも成人するまでは生きていたいという思いが大きいと想像する。

 

麻央さんの最期の言葉は、愛してる、だったとか。

 

悲しみに満ちた報道で世間的には若くして気の毒という感じになってしまうが、私に言わせれば、なんて幸せな人なのだろうと思う。

最期に、そう思える、言える人は、どれだけいるだろうか。

実際の心情は本人しかわからないが、不満でも後悔でも恐怖でもなく、すくなくとも言葉として愛に満ちた状態で亡くなるということは幸福だ。

たとえ100年生きたとしても、最期の心境が悪ければ、その人の人生は良いものとは言えない。

見知らぬ人のゴシップは聞きたくない

私があまり妻の実家に行かない理由の一つは、向こうの方々の話題が嫌だからだ。
これは、妻の実家周辺の特有なのか、それともどこでも同じなのか、ある世代特有なのかは分からない。


とにかくその話題とは、他人の悪いニュースである。


-どこそこの誰が今度入院するんだって。
-どこそこの誰が庭仕事のときにケガをしたんだって。


その、どこそこの誰、という方を私は知らない。
知らないし、入院しようがケガをしようが、私にはそもそも関係がないし興味がない。
百歩譲って、どこそこの見知らぬ人の話であっても、笑える面白い話ならば聞くに値する。
が、大概が悪い話である。
そんな見知らぬ人の悪いゴシップなど聞きたくない。

そういう話にまみれるのはしんどいことだ。


どうして他人の悪い話が話題になるのだろうか。他に話題がないのだろうか。
話の軸が完全に他人の動向であって、つまりは行動基準が他人の動向とか目線なのだろう。

見知らに人の話は、どうでもよくて、最近のあなたはどうなんだろうか。今後のあなたはどうしたいのだろうか。
仮に退屈でも、向き合う方の話に私は興味がある。


もし、この傾向が地方社会特有のものであるとすれば、なぜ若い人が都市へ向かうのが分かる気がする。これでは息苦しい。

マンスリーからウィークリーへ

 日々、予定が多い。打ち合わせ、会議が多い。

 今まで手帳はマンスリー(デルフォニクス)を使っていた。見開きで1か月を俯瞰でき見やすいし、そもそも1日に書き込むべき予定が1,2つ程度で間に合っていたから。

 でも4月以降は違う。1日に4,5つの打ち合わせが入り、さまざまなメモを書き込む必要が出てきた。

 そこでマンスリー手帳では物理的に難しくなり、無印のマンスリー&ウィークリー手帳を4月も半ばに購入することになった(旬が過ぎているので30%オフ)。

 ウィークリーだと枚数が増え、手帳の重さも増すので敬遠していたが、必要に迫られた道具なのでやむを得ない。スケジューリングとメモを十分書き込める。

 慣れだと思うが、上司が凄い。同時にいくつもの案件を抱え、スケジューリングする。みっしり予定が埋まっており、これでいつ休むのだろうと思う。

 上司はウエブで管理するので、私も把握することができるから助かる。動くを事前の予測できるからだ。

 

 予定がたくさんあると満足する人がいるという。

 私は予定だらけを嫌うので、今はやや苦しい。予定が多いとじっくり考える時間が少なくなり、瞬発力で対応となる。それが結構消耗する。(が、慣れとは怖いもので、この1か月で馴染んできた。)

 予定だらけだと余白がなく、何かが舞い込んでも受け入れがたくなる。

 余白と隙間。無駄に思える時間とか空間って大事だ。

 マンスリーからウィークリー手帳への移行は、私の精神的なリズムへも影響が出てくるだろう。